諏訪家に残る系図によると、諏訪家は永正(えいしょう)年間(1500年ごろ)に諏訪左近将監長治(さこんしょうげんおさはる)(小笠原貞朝次男の弟)が信州より来たことに始まると伝えられていますが、確かなことは分かっていません。諏訪家のことがはっきり分かるようになるのは、江戸時代に入ってからのこととなります。諏訪家がある赤野井村は元和9年(1623)に成立して幕末まで存続した淀藩(よどはん)の近江国内での飛び地領地でした。諏訪家は淀藩領で「大庄屋」をつとめ、代々農民の指導者となってきました。明治維新後、諏訪家当主諏訪安明(やすあき)は、大津県に続き滋賀県に出仕し、その後、初代野洲郡長に任命、その子安敬(やすたか)も玉津村長に選任されるなど、地方自治にも功績を尽くしてきました。(守山市HPより転記) |